1週間夏休みだった。仕事のことを忘れて楽しく過ごした一週間。この間に読んだ本は、結婚失格、断捨離、カフカの変身。

変身 (新潮文庫)

変身 (新潮文庫)

解説によれば、カフカは扉絵に昆虫の絵を使うことを拒否したという。虫に変身するということよりも、不条理な事件をきっかけにあぶり出されるグレーゴルの過酷な日常の人間関係、社会生活がメインテーマだった。虫に変身したというのに、彼は「やれやれおれはなんという辛気くさい商売を選んでしまったんだ」とか、人間関係について「ひとつのつきあいがながつづきしたためしなしで、本当に親しくなることなんかぜったいにありはしない。」なんてことを考えている。時計をみて「これはいかん」なんて言ってる。彼は終始一貫、冷静で、虫に変身したことについては動揺したそぶりもない。ずーっと職場での立場を気にしているのである。

彼は周囲の言ってることもよくわかる。でも発語ができない。「グレーゴルの言うことは相手に理解されなかったので、グレーゴルが相手の言葉を理解できようとは誰も思わなかった」(p42)。異形のためもあるが、むしろ発語ができないために周囲から相手にされなくなる。それは辛い経験だろうな。運動失語に似た状態と言うこともできる。言葉さえ話せれば、全く違う話になっただろう。

しかしグレーゴルという人は、変身する前、家族から愛されていたんだろうか。あまりそういう感じがしない。一家の経済を支えるために身を粉にして働き、妹を音楽学校に入れてあげようなどという思いやりのあるいいやつなのに。彼が変身して家族が最初に心配したことは一家の経済状態であるかのような印象がある(p.44) 。グレーゴルが死んでからも、家族がまず考えたのは生活のこと、経済のこと。住居のこと。

「私的生活と職業生活の相克」というフレーズが解説にあったけど、ここに書かれている営業のサラリーマン、第一次世界大戦前後のドイツにもこんな人がいたんだな。僕も含め、日本人の多くがこういう境遇にあり、なんとかしのいでいるのだ。生活するということは、経済を営んでいくということは、それに全力を傾けてやっとなんとかやっていけるような、こんなにも大変なことなのである。だからこそ、安楽な生活や保障と引き替えに魂を売ってしまう人がいるわけではないか。魂を売らなくても時間を売り、労働を売って我々は生活を営んでいるわけではないか。 

私的生活を満喫できたこの夏休みの最後に読むにはぴったりの小説だったな。これからまた職業生活が始まる。なんとか生き延びていこう。