叔父にあたる人が亡くなったので弔問にニューヨークに行ってきた。ワシントンDCの申し訳程度のチャイナタウンから4時間半バスに乗ってニューヨークのチャイナタウンに着いた。相変わらずの迫力。歩いて北上中、熊本ラーメンの店に入った。ラーメンはまずかった。Boweryのジョンゾーン系の音楽に強いCD屋をのぞき、イーストビレッジを歩き、セイントマークスのパンやでケーキを買ってバスに乗り、ファーストアベニューを北上した。ここを通るのは20年ぶりかもしれない。イーストビレッジもかなり変わったということだが、バスからみたファーストアベニューの変わり方にも驚いた。一つのブロックにすし屋が4件くらいあったりする。アメリカ郊外のSTAPLES McDonalds Starbucks BEST BUY… といった判で押したような大手チェーンの連鎖が全く見られないのみならず、どのブロックもおいしそうなレストランや面白そうな店が百花繚乱で個性を主張しているような雰囲気だった。86丁目のイーストサイドなんかもかっこいいコンドミニアムが乱立してなんだかいるだけで雰囲気に酔ってしまいそうな感じ。全ては金持ちのためのものなんだろうが、それでも僕はあの感じに弱い。ニューヨークやっぱり好きだ。僕はただの典型的なニューヨーク好きの日本人なんだと思う。
叔母さんの家では叔母さんやいとこ、それに月寒出身の叔母さんの友達と明け方まで楽しいひと時を過ごした。僕は亡くなった叔父さんをあまり知らないのだが、雑談のなかで彼の人となりをうかがわせるような話を聞くことができた。ケーキ買っていったりして不謹慎かと思ったが、そんなことはなかった。こういう弔問もあっていいのだろう。翌日もバスの時間までアパートにいて、どこにも寄らずにまたチャイナタウンに行き、バスに乗って帰った。
今日、ラジオでマイケルブレッカーが亡くなったと聞いた。僕がニューヨークにいる間にニューヨークで亡くなったのだ。もう20年前、高校生のとき、ニューヨークにセブンスアベニューサウスというクラブがあった。カズミバンドとかステップスが好きだったので憧れの地だった。やはり叔母さんのアパートで、ビレッジボイスでブレッカーとジャコのセッションの告知をみたことをよく覚えてる。なんで聞きににいかなかったのだろう。いまだに悔やまれる。あの時も冬だった。あの頃のニューヨークは本当に寒かったが、今年のアメリカの冬は本当に暖かい。世界は刻々と変わっているのである。