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何か自分の身辺に変わったことがあると、それに関連するキーワードを検索することが多い。それによってなんとなく世の中の価値基準に自分を照らし合わせている。自分のようなネット依存の人間は、自分の価値観で生きて思考することをかなりの程度放棄してしまっている。とてもフラットな世の中である。例えばyoutubeをみると、ギター教則ビデオがあふれてる。こういうのをみて練習すればある程度の所まではいけるんだろう。でも、その先のオリジナルには到達しにくい時代なんだろうなと思う。オレの子供には、オレみたいになって欲しくないなと思う。子供の存在が輝いてみえるのは何故かと思うに、やはりこうした世俗の波にも晒されて丸くなったり平らになったり摩耗していないところだろうと思う。子供は子供なりに、同調圧力とかいろいろあるようなんだけど、まだ圧倒的に情報へのアクセスが少ないので、存在自体がオリジナルなのである。それはとても貴重なことだと思う。
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この一ヶ月、随分金を使った。水、食糧の買い出し、日赤とフリージャーナリストへの募金、支援物資の購入、タクシー代、ガソリン代、放射能対策、充電用電源の確保、子供の交通費、温泉宿泊代、銀地金の購入、などなど。全部でどのくらいかな150万くらいか。
この一ヶ月、全然仕事にならなかった。オレは研究者だから研究していればいいのだ、などと割り切ることは到底できなかった。
母親の友人が津波にやられた。いきなり、有無を言わさずに水にのまれてしまったのだろう。人の痛みはわからない。でも窒息はほんとうに苦しい。おそらく2-3分苦しんだ後、その人はこときれてしまったのだろう。後に残ったのは死体だけ。その人の苦しみは回想されることすらない。そんな苦しみが、おそらく3万人を超える人たちを襲った。
被災地まで、車でほんの1時間半。海沿いの惨状は、海岸に近づくといきなり眼前に現れる。がれきとはつまりゴミ。汚泥、アスベストや重金属も混じる産業廃棄物。あんな所にいて希望がわく人は一人もいないだろう。
原発のことも考えざるを得ない。いろいろ情報は集めたけど、わからないことが多すぎる。結局できることは子供を疎開させること、線量のモニター、逃げる準備、食べ物に気をつけることくらい。今更レベル7などと言われても、同じこと。
こんなときに、自分の仕事は果たして何の意味を持ちうるのだろうか。そんなことを考えて苦しかった。今後のことも考える。おそらく日本人の価値観は今後しばらく大きく変わるだろう。クールな日本のイメージは完全に失墜、外国人は去り、自粛は続く。経済活動は停滞。多くの人が金銭的にも苦境に襲われるのだろう。おそらく、もうほんとうに必要なことしかできなくなる。それはいいことかもしれない。少なくともオレは、もうあれこれ考えずに単純に生きたい。自分がだいじだと思うことをやろう。もう周りに振り回されず、震災の影響、震災のショックを口実にさせてもらおう。41才生きてきて、自分に大切な物は何かということがわかってきたところなので。やりたいようにやってみようと思う。
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昼過ぎにサンディエゴに着いた。快晴。温暖。
なんて素晴らしい土地だろう。ホームレスがたくさん。それも無理はない。
ホテルはとてもいい場所にあったが、部屋はせまく、窓から光もささない。これはひどいなーと思っていたら、フロントから電話。部屋どうですか-? ちょっとうるさいといったら別の部屋にしてくれた。やったと思ってフロントでカードキーをもらい、部屋を移動したら、前と同じ。まあいいかと思って横になってたらまた電話。部屋どうですか−? また変えてもらったら、今度はまあまあ。そんなに変わらないけど。エレベータはドアが手動だし、冷蔵庫はないし、キッチンなんかもないし、浴槽はないし、当然トイレはウォシュレットなしだし、前泊まったホテルの方が良かったな。日本で当たり前のことがアメリカではぜんぜん当たり前じゃないということに改めて気づかされる。この時期、一泊二万くらいするんだけどな。まあこういう大雑把なところがいいし、それでも人はここにやってくるわけで。
経由地のポートランドもなんか、空港見ただけだけど、きれいそうな所だった。
アメリカ人はよくしゃべる。ほんとうに、言語の量が豊富。この違いは何なのだろう。別にたいしたこと言ってるわけじゃないんだけど、なんていうんだろう。言いながら考えてるのかな。その方がいいなと思う。
英語はなかなか口から出てこない。
西海岸は近いのでそれほど大変じゃないと思ってた。確かに飛行機に乗ってる時間は短かったけど、着いたらまた新しい一日が始まるのがとてもつらい。飛行機であまり眠れなかったので、部屋でまず熟睡。その後3年前に行ったタイ料理屋で夕食を食べ、部屋に帰って来た。
概して、時間のたつのがとても速い。結局、家からサンディエゴまで、20時間以上かかったんだけど、別に長くは感じなかった。
日曜日にBlonde redheadが来るらしい。このバンド長くやっているんだな。ザッパの息子のポスターが貼ってあった。
テレビでは、police woman of Dallas という婦人警官の実録ものをやってる。ちまちました事件ばかりだけど、おもしろい。出てくるのは人間のクズみたいな人ばかり。過酷な国だ、ここは。
Adam hurstという人のGypsy Cello の生演奏をポートランドの空港の中で聞いた。すごいいい音だった。しかし、なぜ朝の9時からあんなところで演奏を??
まだ来たばかりだけど、この国はほんとうに刺激に満ち満ちている。
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1週間夏休みだった。仕事のことを忘れて楽しく過ごした一週間。この間に読んだ本は、結婚失格、断捨離、カフカの変身。
- 作者: フランツ・カフカ,Franz Kafka,高橋義孝
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1952/07/28
- メディア: 文庫
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解説によれば、カフカは扉絵に昆虫の絵を使うことを拒否したという。虫に変身するということよりも、不条理な事件をきっかけにあぶり出されるグレーゴルの過酷な日常の人間関係、社会生活がメインテーマだった。虫に変身したというのに、彼は「やれやれおれはなんという辛気くさい商売を選んでしまったんだ」とか、人間関係について「ひとつのつきあいがながつづきしたためしなしで、本当に親しくなることなんかぜったいにありはしない。」なんてことを考えている。時計をみて「これはいかん」なんて言ってる。彼は終始一貫、冷静で、虫に変身したことについては動揺したそぶりもない。ずーっと職場での立場を気にしているのである。
彼は周囲の言ってることもよくわかる。でも発語ができない。「グレーゴルの言うことは相手に理解されなかったので、グレーゴルが相手の言葉を理解できようとは誰も思わなかった」(p42)。異形のためもあるが、むしろ発語ができないために周囲から相手にされなくなる。それは辛い経験だろうな。運動失語に似た状態と言うこともできる。言葉さえ話せれば、全く違う話になっただろう。
しかしグレーゴルという人は、変身する前、家族から愛されていたんだろうか。あまりそういう感じがしない。一家の経済を支えるために身を粉にして働き、妹を音楽学校に入れてあげようなどという思いやりのあるいいやつなのに。彼が変身して家族が最初に心配したことは一家の経済状態であるかのような印象がある(p.44) 。グレーゴルが死んでからも、家族がまず考えたのは生活のこと、経済のこと。住居のこと。
「私的生活と職業生活の相克」というフレーズが解説にあったけど、ここに書かれている営業のサラリーマン、第一次世界大戦前後のドイツにもこんな人がいたんだな。僕も含め、日本人の多くがこういう境遇にあり、なんとかしのいでいるのだ。生活するということは、経済を営んでいくということは、それに全力を傾けてやっとなんとかやっていけるような、こんなにも大変なことなのである。だからこそ、安楽な生活や保障と引き替えに魂を売ってしまう人がいるわけではないか。魂を売らなくても時間を売り、労働を売って我々は生活を営んでいるわけではないか。
私的生活を満喫できたこの夏休みの最後に読むにはぴったりの小説だったな。これからまた職業生活が始まる。なんとか生き延びていこう。