N君がまたたくさん本を送ってくれた。BECKはいよいよ佳境かな。en-taxiは大きくなって内容も充実。全ての雑誌の中でen-taxiが一番好きだ。スタジオボイス大竹伸朗都築響一の対談も本当によかった。そういえばTOKYO STYLEに根本敬の部屋も載ってたっけ。この人たちのことは信じられる。たぶん、彼らを彼らの仕事に駆り立てるものは、本来研究者を研究に駆り立てるものと同源なんだと思う。都築さんはいう:「僕はとんでもないものを作っている人を写す、記録媒体になりたいだけなの」それをうけて大竹さんが「なるべく個性を殺してね。」その後の「チョイスすること行為自体がアートでしょ」という言葉も本当にその通りだと思う。研究だってそうだと思う。僕が思うに、研究者の仕事は世の森羅万象のなかから何かを切り出して活写することに尽きるんだと思う。「知的好奇心を満たすため」とか知恵比べとか戦略を競うものとか名声を得るためのものでも、世のため人のためでもない。 大竹さんは続けて、「自分がアーティストで、アーティストのフィールドで何かやるというのは、それがもうアートじゃない。常に不安が伴うもの、そこにアートが潜んでるわけ。だけどそんなことはさ、世の中的には通用しない。」「これはダメだろうとか、これはもう終わったろとか、そういうところをどんどん行く気持ちというのがアートの一番大事なところだと思う。」「アートっていうのはさ、要するに自分とアートの問題なんだよ。自分の与えられた時間、生きているあいだ、それで何をするかっていう。非常にシンプルなわけ。」これもほぼそのまま研究に当てはまると思う。アートの世界と同様、アカデミズムの世界もそうはなってない。たくさんあるポスドクや研究者のブログをみれば明らかである。脳の研究者は、人間を理解するためには脳を理解することが必須であるという。でも、人間に興味があるんなら「アカポスをゲット」しようがしまいが、自分なりのやり方で人間を研究すればいいのである。都築さんや根本さんはそうしてるんだと思う。大竹さんのいう、「金がないから教えるほうにいくのか、Tシャツ作って路上で売るのか、試されるところだと思うよ」、これは厳しい言葉である。50歳をこえて、オレにこのような言葉が吐けるのか。こういう人たちがいるというのはほんとうに励みになる。