奥さんが日本でen-taxiを買ってきてくれた。つくづく、潤いのあるいい雑誌だと思う。表紙は大竹伸朗の絵。別海の風景。いい絵だ。大竹さんが別海高校でやったワークショップ後の所感のようなものを書いている。

・見ることを信用しすぎるとロクなことはない。
・作為や意図を語りすぎる奴を絶対に信用するな。
・「正しい方法」として頭の中に組み込まれた時、足下に液状地盤沈下がズブズブと始まるのだ。この世に確かな「方法」などあるはずがない。

鈴木大拙の言ってることと同じだと思う。こういうことをいってくれる人がいてくれて有難い。救われる気がする。しかし、こういう文章って英訳できるんだろうか。大拙は英語で書いてるんだから、できるのだろうな。しかし英訳できたとして、アメリカ人とか西洋の人にわかってもらえるんだろうか。
前にもこういうこと書いたけど、大竹さんの発言はサイエンスの世界でも成り立つと思う。僕は、サイエンスの原動力は、世界を記述したいという欲求だと思う。絵描きが絵を描くのと動機は同じなんじゃないだろうか。サイエンスの過程は、こうなってるんだよってことを定量的に、客観的に記述することにつきる。価値の基準は美しさであり、頭の良さを競うものではないと思う。作為や意図に満ち満ちた仕事が多いけど、本来そういうものではないと僕は信じている。

絵もそうなのかもしれないけど、サイエンスの世界でも、一度有効な方法を手にすると人はそれ執着するようになるようである。でもそこにとどまっていてはいけないのである。科学の醍醐味は、生の自然とダイレクトに接する瞬間がたまーに訪れることなのだが、「正しい方法」を頭の中に組み込んでしまうと自然との距離は遠ざかってしまうような気がする。